オトコたちの曲がり角 第五話「夢と現実の隙間から」前編

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―今日も、やっと終わりか。

時計を見ると、ダイスケは他の職員に気づかれないよう、そっと伸びをした。

17時になると机の上を片付け、パソコン上から退勤の手続きをおこない、電源を落とし立ち上がった。

事務局が入っている建物の外に出ると見慣れた景色が目に入り、妙に落ち着く。

都心にあるとは思えないほど緑が豊かなキャンパスには、学生たちがまばらに歩いていたり、ベンチに座って語り合ったりしている。

ダイスケは大学時代、学校が特別好きな生徒ではなかったが、このキャンパスの雰囲気は好きだった。

ダイスケは今から6年前に、一浪して入学した大学を卒業した。

卒業後はイラストの専門学校に通い、4年前から母校である大学の事務局で、事務補佐員として非常勤で働いている。

時給制で給料が高いわけではないが、仕事量はそれほど多くないし、残業もなく定時で終わることがほとんどだ。

ダイスケは仕事が終わると、いつものようにまっすぐ、学生時代から住んでいるアパートに戻った。

木造のアパートで、家賃は都心という立地にありながらも4万2千円と格段に安く、大学卒業後もそのまま住み続けている。

当然ボロいうえに狭いのだが、男ひとりで暮らすぶんには何の問題もない。

学生時代は「お前、よくこんな家に住めるな!」と、友人によくからかわれたものだった。

しかしダイスケは、自分が興味のないことにおカネを使うのは馬鹿げている、という価値観のため気にしていない。

洋服やインテリアにはある程度こだわるが、食費はできるだけ浮かせたいので、職場には手作りのお弁当を持参している。

酒も強くないため、飲みに行くこともほとんどない。

恋愛にも興味のないダイスケは、今のところ結婚する予定もなく、この生活で取り立てて困るようなことはなかった。

ダイスケは部屋に入ると荷物を置き、作業デスクのパソコンの電源を立ち上げ、メールフォームを開いた。

そして、深いため息をついた。今日も仕事の依頼は来ていない。

この状態が一体何か月になるのだろう。ダイスケは、考えるのもイヤだった。

さらに、半年前に作ったSNSツール向けスタンプの売り上げをチェックしたが、こちらも売れていない。

ダイスケは気を取り直し、現在頼まれているイラストの修正作業に取り掛かった。

専門学校時代の知人に頼まれた、Webサイトに掲載するイラストだ。

修正箇所も少なく、それほど手間はかからなかった。

ダイスケは専門学校を卒業してから、フリーでイラストレーターの仕事を始めた。

それだけではすぐには食べていけないだろうと考えていたため、大学で働きながら「兼業イラストレーター」という道を選んだ。

自分のサイトとSNSページも作ってみたものの、依頼はまったく来なかった。

クラウドソージングなども利用してみたが、案件をなかなか獲得できなかった。

社交的な性格ではないダイスケには、自分から営業活動に回るという行動も躊躇があった。

どこかで、「自分は才能があるのだから、誰かがそれに気づいてくれるはずだ」という思いもあった。

活動をスタートしてから2〜3年が経つと、どうにか少しずつ仕事を取れるようにはなってきた。

しかし、そのほとんどが1~2個のカットのみという小さな仕事や、単価の安い仕事だった。

ダイスケの現在のイラストレーターとしての収入は月数千円、多いときでも数万円程度にしか満たない。

事務補佐員の仕事がなければ、とても生活していけない額だ。

しかも、最近では月の売り上げがゼロ、ということもある。

時間のある時に自分の作品をつくったり、SNS向けのスタンプを制作したりもしているが、収入にはつながっていないのが実情だった。

こんな生活が、専門学校を卒業してからずっと続いている。

それでもダイスケにはどこか鷹揚に構えているふしがあった。

収入が低いとはいえイラストレーターであることにかわりはないのだし、生活に支障があるわけでもない。

おカネにならなくても、自分の好きなイラストを描きつづけていくというのもアリなのではないか。そんな風に考えていた。

修正作業を終えると、ダイスケは自分の作品づくりに取り掛かった。

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

「急で申し訳ないんだけど……」

年末のある日、上司は眉間に皺を寄せて言った。

「……わかりました」

ダイスケは平静を装いながらも、上司の言葉に静かにショックを受けていた。

ダイスケは非常勤職員のため、毎年契約の更新をしていた。

本来であれば、今年も通常通り更新がおこなわれるはずだった。

しかし、事務局の人員削減を理由に、来年は更新がされないことを突然通達されたのだ。

このままではダイスケは、あと3ヶ月で非常勤職員の職を失うことになってしまう。

正規の職員ではないから、こんなことも起こり得ることはわかっていた。

だが、これほどすぐに今の職を失うことはないだろうと思っていたのだ。

歴史と伝統ある大学であっても少子化の波は免れず、大学OBのクビを切らなければならないほどの状況なのだろう。

ダイスケは休憩時間中、キャンパス内の芝生にひとり寝ころび、考えをめぐらせていた。

仮に事務補佐員の仕事を続けられるとしても、来年でもう30歳になる。

今の仕事内容は、生徒の窓口対応や備品の購入、電話対応、文書の作成など、特別なスキルが求められるわけではない。

今はまだいいが、この仕事を続けていくにしてもどこかで限界が来るだろうし、定年まで働ける保証などまずない。

とはいえ、さらに不安定な身分のアルバイトをするのも気がすすまない。

ダイスケは学生時代にコールセンターのアルバイトをしていたが、「自称役者」「自称ミュージシャン」「自称声優」という、若くない人たちを山ほど見てきた。

そして、そのほとんどが、生活のために結局はバイト漬けになっていた。

―もしかしてオレも、「自称イラストレーター」になってる……?

ダイスケはぞっとした。

そういえばここ半年、イラストレーターとしての月の収入が1万円を超えた月は一度もない。

めったなことでは動揺しないダイスケだが、自らの今後が急に不安になってきた。

―持ち込みでもしてみようかな。

ダイスケは瞼を閉じ、ぼんやりとそう思った。

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

年が明けてから、ダイスケは仕事の合間に時折有給を取り、自分の作品のポートフォリオを持って都内の出版社を片っ端から回った。

しかし、ただでさえ忙しい編集部では、「後で見ておきます」と言われてその場で帰されることが多かった。

さrない、編集部で数時間待たされたあげく、誰も戻ってこず話ができなかったりすることも多々あった。

ダイスケは、それだけでも心が折れそうだった。

そんな中、ダイスケのイラストを見てくれるという出版社にたどり着いた。

男性向けカルチャー雑誌を出版している会社で、ダイスケも時々購読している。

編集部との打ち合わせスペースに通されると、カウチンセーターにジーンズというカジュアルな格好の男性編集者が速足でダイスケのもとにやってきて、ソファにどっかりと座った。

「時間ないから、早く見せて」

男性編集者が片手を差し出したので、ダイスケは慌ててポートフォリオを渡した。

編集者は険しい表情でパラパラとポートフォリオをめくると、机の上に放り投げた。

「キミさ、こんなのプロの世界で通用すると思ってる?」

「え?」

「独りよがりっていうかさ、『人が見てどう思うか』っていう視点が抜けているんだよ、キミのイラスト」

男性編集者は頭の後ろで手を組み、ソファにもたれながら言った。

「いいんじゃないの? 別にプロでやっていかなくても、趣味でイラスト描いてれば。そんな人たくさんいるでしょ」

「……」

「どうしても続けたいっていうんだったら、とりあえずどっかとコネでもつくったほうが早いんじゃない? ウチはいいや。ま、頑張って」

そういうと男性編集者は、かかってきた電話に出ながら、どこかへ行ってしまった。

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