オトコたちの曲がり角 第三話「苦難に射し込むかすかな光」前編

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「他社様とのご契約に変えられるということですが、よろしければ理由をお聞かせいただけますでしょうか」 

 ナオキはわざと困ったような顔をつくりながら、深刻になりすぎないように尋ねた。

打ち合わせルームのガラス越しには、広いスペースの中で社員たちが忙しく立ち働いている。

今、ナオキが来ている株式会社S.A.Pは、昨年株式上場を果たしたインターネット通販の企業だ。

規模こそそれほど大きくないが、旬のお笑い芸人を起用したユニークなプロモーションで、一般的な知名度は高い。

「理由も何も……」

人事担当者は、ため息をつきながら険しい顔で言った。

「おたくの会社は料金が高いばっかりで、全然効果がないんだよ」

「ご希望に添えず、申し訳ございません」

「応募はたくさん来るんだけど、いまひとつウチの会社に合う人に巡り合えないんだよねぇ」

「ご迷惑をお掛けしております。ただ、人材広告には時期やタイミングもございまして……」

「まぁ、わかるけどさ。とにかく一度ほかの広告も試してみて、また考えてみますよ。申し訳ない、次のアポが入っているので、今日はこれで」

 人事担当者はテーブルに出していた手帳とボールペンを持つと、立ち上がった。

ナオキも慌ててカバンを持ち、あとに続いた。

オフィスを出てエレベーターに乗り込むと、見送りに来た人事担当者が思い出したようにナオキに言った。

「あとさ、あの若い子。こっちが電話しても出やしないし、頼んだことも全然やってくれない。ちゃんと教育してよ。まぁ、もういいけど」

「申し訳ございません、よく言っておきます」

 ナオキはお辞儀というよりも謝罪の意味で、エレベーターが閉まるまで頭を下げていた。

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 オフィスのビルを出ると、ナオキは後輩に電話をかけた。

株式会社S.A.Pは、半年前にナオキが後輩に引き継いだ取引先だ。

ナオキがテレアポをかけ、4年前に求人広告を獲得した会社のひとつで、後輩に引き継ぐまでは、定期的に広告出稿の依頼をもらっていた。

が、後輩に引き継いでから広告出稿の頻度が減り、ついには、他社の媒体に変えると言い出した。

後輩ではもうらちが空かないようなので、前任者であるナオキが話を聞きにいくことにしたのだった。

 5コール目で、後輩が電話に出た。

「もしもし? S.A.Pさん、やっぱり難しいみたいだな」

「あ、やっぱ無理だったっすか」

 後輩の言葉遣いにカチンと来ながらも、ナオキはぐっと怒りを呑み込んだ。

もし、ナオキが野球部時代の先輩にそんな言葉遣いをしたら、大声で怒鳴り散らされているか、一発殴られているかのどちらかだ。

だが、今は会社からのパワーハラスメントなどの指導も厳しいため、うかつにビシッと叱ることにも躊躇してしまう。

「一度ほかの媒体を使ってみて考えるとおっしゃっていたから、少し期間を空けてみてもう一度アプローチしたら、またウチに頼んでくれる可能性もあるかもしれないよ」

「いやー、無理だと思いますけどね」

自分が担当する会社にもかかわらず、後輩はまったく関心がなさそうだ。

「とにかく、時間が経てば変わるかもしれないから。あと何度も言うけど、お客様からのご連絡はなるべく早めに折り返さないとダメ。やることが多いのはわかるけど、お客様から頼まれたことはちゃんとやらないと、会社としての信用が……」

「あ、スミマセン。ちょっとクライアントから電話入っちゃったんで、失礼します」

 そういうと、後輩からの電話は切れた。

 ナオキはオフィス街を歩きながら、さっきの人事担当者とのやりとりを思い返していた。

「広告の効果がない」「料金が高い」という言葉は、ナオキたち営業がクライアントからよく浴びせられる言葉だ。

たいていはグチや冗談半分で、本来であれば、それが広告出稿を取りやめる理由にはならない。

なぜなら、ある程度の知名度の会社が求人広告を出すと、会社側が求める条件に合っていない人が応募をしてくることも少なくないからだ。

それに、料金だって法外に高いわけではないし、ナオキの会社の媒体はネームバリューもあるため、出稿すればある程度の効果は見込める。

 ただ、求人広告の出稿依頼は急に来ることが多いため、営業担当の責任は大きく、常にスピーディーな対応が求められる。

そのためナオキも仕事中はもちろん、プライベートでも念のため、仕事用の携帯電話を持ち歩いている。

クライアントから、いつ連絡が来るかわからないからだ。

 S.A.Pの件も、会社側の考えや都合もあるのだろうからすべてが後輩のせいとは言わないが、人事担当者が後輩の対応に不満を持ち、別の会社に変えられてしまった可能性は高い。

 「オレが担当を続けられていればなぁ……」

  ナオキは、苦々しい思いだった。
 
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 ナオキが勤める人材広告企業は、同業他社の中でも1、2を争う大手だ。

東京のど真ん中にオフィスを構え、全国に支社を持つ。人材広告のみならず、不動産業や出版業など多岐にわたって事業を展開している。

本社の営業部は、その中でも花形の職種だ。

新卒で営業部に配属されたナオキは、そこで働き始めてもう8年目になる。

去年の春にはマネージャーに昇進し、1年半が経つ。

 入社当時は「会社イチの営業マンになって、自分の仕事を通して社会をよりよくしていく」という目標を掲げていたナオキだったが、現実はそう甘くはなかった。

入社後の営業成績はいっこうに上がらず、同期の中でも、成績は下から数えたほうが早かった。

最初の数年間は手あたり次第にテレアポをしたり、時間の許す限り会社を回ったりした。

根っからの体育会系のナオキには、仕事自体はさほど苦痛ではなかった。

ナオキがもっとも辟易したのは、職場の人間関係だった。

面倒な雑用は周囲に押し付け、自分がやりたい仕事ばかり推し進める同期。

上司には媚びへつらい、部下には横柄な態度の先輩。

そのほかにも、気むずかしくプライドの高い制作部とのやりとり、飲み会で長々と続く上司の武勇伝や嫌味なども、ナオキをほとほと疲れさせた。

本音と建前、野心、嫉妬、部署ごとのヒエラルキー、暗黙のルールなど、ひとことでは言い表せないさまざまなモノが渦巻く会社組織という環境に直面したナオキは、社会人になりたての頃はかなり戸惑った。

小学校から野球をはじめたナオキは、中学、高校とずっとレギュラーだった。

プロになるのは中学時代に早々にあきらめたが、大学でも野球はつづけ、軟式野球部の主将をつとめた。

もちろん、運動部でも人間関係が複雑なところはたくさんあるのだろうが、ナオキが入っていた野球チームや部活は、そんなことはなかった。

後輩は先輩の言うことを聞くのは当たり前だったし、試合があれば、自分の番以外は懸命に仲間へ応援をおくった。

監督やコーチは怖い人もいたが尊敬できる人が多かったし、基本的には言うことにも筋が通っていた。

ナオキはなにより、一緒に野球をやっていた仲間のことが大好きだった。

授業が終わるとすぐさま部室に直行していたし、練習以外ではいつもバカ話で盛り上がった。

悩んでいたり困っていたりする仲間がいたら助けるのが当たり前だったし、伸び悩む後輩には、夜遅くまでバッティングフォームを教えたりもした。

 そんな環境にずっといたためか、社会に出てからナオキが感じたギャップはかなり大きかった。

マネージャーになってからは部下の指導もすることになったため、自分が持つ担当の会社は少し減ったが、以前よりも忙しくなっていた。

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