オトコたちの曲がり角 第二話「帰巣するヒト」後編

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「本当にいい子」「できがいい」「うちの息子にしたい」

 小さいときから、近所の人や先生、親戚たちはそう言ってはケンタをほめた。

子どものときのケンタはそこそこに勉強も運動もでき、友達も多かった。

男の子にしてはおっとりとしたタイプで闘争心も薄かったためクラスでもケンカをすることはなく、常に仲裁に入る側だった。

委員やクラスリーダーがなかなか決まらないときには、みんなが面倒がる役割もすすんでかって出るなど、どんなときでも「正しい」行動を取る子どもだった。

そうしているうちにケンタは、「自分がどうしたいのか」ということが、すっかりわからなくなっていった。

そしてそのことにすら気づかぬまま、大人になった。

いずれは『イノウエ』を継ぐことになるのはわかっていたケンタだったが、そのときは、予想していたよりもはるかに早く訪れた。

ケンタが東京で働いていたとき、数日前まで電話で元気な声を聞いていた父親が仕事中に急に倒れ、帰らぬ人となったのだ。

ケンタの父は生きていたころ、母に「ケンタに無理に店を継がせる必要はない。

好きなことをやればいいんだ」と言っていたと、あとから母に聞いた。

ケンタも、当時勤めていた中堅食品メーカーの営業の仕事に大きな不満はなかったが、一生そこで働くわけではないと思っていたし、どうしてもやりたい仕事というわけでもなかった。

地元に戻り店を継ぐことが最善の選択であり、みんなも喜んでくれると思ったのだった。

若くして、亡き父の店を継いだ自分。

世間の人から見たら、ケンタは紛れもなく、いまどきの若者にはめずらしいほどに立派な人間に見えるだろう。

しかも、そんな自分を支えてくれる優しい妻と、かわいい子どもたちまでいる。まるで、国民的ヒューマンドラマの主人公みたいじゃないか。

しかしこの前、店でいつもの常連客と話していたときに、「オレはこの変わり映えのしない平凡な日々を、あと何十年も過ごすのか」という考えが頭をふとよぎったとき、ケンタはぞっとした。

「オレの人生、このままでいいのか? 誰かの期待に応えるだけで、終わっていいのか?」

 そんな矢先に、セミナーの案内が届いたのだった。

ケンタが東京へ行きたかった目的は、『イノウエ』のためにセミナーに参加するのが半分と、今の環境から少し離れて、これからのことを考えたいと思ったのが半分だった。

 新幹線の乗車時間まで時間があったケンタは久しぶりに『ささもと』へ立ち寄り、セミナーで配布された資料をあらためて読み返していた。

『ささもと』にはケンタ以外誰もおらず、果たして経営は成り立っているのか、同じ飲食店を営む者としてつい心配になった。

少しでも売り上げに貢献しようと気を遣い、アイスティーのほかにナポリタンも注文した。

 セミナーは半日をかけておこなわれ、定員100名の会場が満席で大盛況だった。

飲食業界の今後や人気店の戦略、自分の店でできる売り上げアップの方法など、盛りだくさんの内容だった。

セミナーが終わった後には、講師の男性に質問をしたり、名刺交換をしたりする行列ができていた。

ケンタが何気なく、飲食コンサルタントの講師のプロフィールを見やると、男性の年齢が自分と同い年と知り、驚いた。

行列が途切れ、会場に人もまばらになった中でパソコンの片づけをする男性のところへ近づくと、目があった。

その佇まいにはオーラがあり、無言でもパワーがみなぎっているのを感じた。

「あ、あの、今日のセミナー、すごくためになりました」

「本当ですか? ありがとうございます、嬉しいです。みなさん淡々と聞いてくださっているので、本当にオレの話役に立っているのかな? って、ときどき不安になることがあるんですよ」

 男性は、照れ臭そうに笑った。セミナー中のきびきびとした語り口とは違う、柔和な笑顔だった。

「おひとりでこういうお仕事されているのって、すごいですね」

「いやぁ、ここ最近ですよ、やっていけるようになったの。はじめてのセミナーのときなんて、お客さん2人でしたからね」

「2人ですか!?」

「ええ。当時は会社員だったので、平日の昼間は会社で、仕事が終わってから資料をつくったり、SNSで告知したりして、自腹で会場借りてセミナー開いて。かろうじて利益が出るまで、2年以上かかりましたね」

「……あきらめようとか、思わなかったんですか?」

「いつかはうまくいく、って思っていたんでしょうね、どこかで。途中で会社も辞めちゃって、経済的にもかなりきつかったですけど、自分の人生だし。とことんやりたいな、って」

 男性は言った。そこには、自分のやっていることに不安や迷いのない、潔い表情があった。

ー同い年なのにすごいな、あの人。

 ケンタは、心から感心していた。

そして、自分は、あの男性のように生きることはできないのだろうとも思った。

実はケンタは、今朝の新幹線の中で、「東京へ行ったまま、戻ってくるのをやめてしまおうか」と思った。

この先の自分の人生に何か特別なことが起こりそうな気配もないし、迷惑をかけることになってしまっても、身勝手だとどんなに責められようとも、一人で好きなように、本当にやりたいことを見つけて生きたほうがいいのではないか、と。

しかし本心では、自分はそんなことは望んでいないのだった。現に1日休んだだけなのに、セミナーの最中も『イノウエ』のことが気になって仕方がなかった。

予告もなく臨時休業してしまったから、店を訪れたお客さんをがっかりさせてしまったかもしれないと不安になっていた。

ケンタはポケットに入れていたスマートフォンを取り出し、『イノウエ』の外観の画像を眺める。

画面をスライドさせると、妻と子どもたちが写る画像が出てきた。今朝会ってきたばかりなのに、すぐにでも家族に会いたい自分がいる。

父はケンタが幼い頃から、よほどのことがない限りいつも店を開けていた。

たとえ、お客さんがたいしして来なくても。いつも、ずっと、何十年も同じ場所に立っていた。

ケンタが産まれた頃には祖父は亡くなっていたが、祖父もまったく同じだったという。

学生時代のケンタは父の姿を見て、ひそかに「ずっと同じことばっかりしていて、退屈じゃないのかな」と思っていた時期があった。

今日も、明日も、あさっても、変わらない場所で同じことを繰り返していくなんて、つまらない人生なのではないかと。

でも、なにかを守り続けるとか、ずっと変わらないとかそういうことって、本当は、ちっともつまらないことなんかじゃないのかもしれない。

そのとき、スマートフォンの画像が着信画面に切り替わった。妻からだった。

「もしもし」

「ケンちゃん? 今ね、お店の電話に連絡があったんだけど」ケンタの家では、定休日の日は店舗にかかってきた電話を自宅に転送している。ときどき、問い合わせの電話がかかってくるためだ。

「え、もしかして臨時休業のクレーム?」

「違うよ。なんかね、うちの店を取材させて欲しいんだって。夕方のニュース番組の『レトロな店特集』っていうコーナーで。でさ、そのディレクターの人が、ケンちゃんと同じ大学らしいんだけど」

「もしかして、リョウちゃん?」

「そうそう! ナントカ、リョウさん。また連絡します、って言っていたけど……」

「わかった、これから帰るから。夜には戻るよ」

 電話を切ると、ケンタはテーブルの上を片付けて立ち上がった。

これまで、店の取材は地元のテレビ局とタウン誌くらいしかなかった。

全国ネットのテレビ番組で『イノウエ』が取り上げられれば知名度も一気に上がり、来客も増えるかもしれない。

そんなに甘いものではないのかもしれないが、少しでも『イノウエ』のことを知ってもらえるまたとないチャンスだと思った。

自分にだって、『イノウエ』のためにまだまだできることがあるかもしれない。

とことんやれば、なにかが変わるかもしれない。

渋谷駅前の東急百貨店で約束通りおみやげを購入し、手持ちの現金がないことに気づいたケンタは大学在学中に作った唯一のクレジットカードであるエポスカードで支払いを済ませ、新幹線に乗るべく地下鉄の駅へと向かっていった。

誰でもない、自分の意思で。

作:手塚巧子

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