オトコたちの曲がり角 第二話「帰巣するヒト」前編

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ーこんなに早く歩くんだっけ、人って。

 東京駅で新幹線を下車して乗り換え、渋谷駅の地下鉄を降りて改札に向かったケンタは、駅の構内の人の往来に早くも呑み込まれていた。

ぶつからないようにすり抜けることと、足がもつれないようとにかく歩みを前に進めるのが精いっぱいだった。

腕時計を見ると、9時を過ぎていた。いつもなら、店の開店準備をしている時間だ。

 ケンタは今朝、山形駅から新幹線「つばさ」に乗り、東京へやってきた。

新幹線に乗れば3時間足らずの距離なのに、ひさしぶりに来てみると、まるで別の国に来たようにさえ感じられた。

四方八方から行き交う人々は、シンプルでセンスの良いスーツを着こなすビジネスマン、見たこともない日本語が書かれたTシャツを着た奇抜な外国人、上品な白髪のマダム、モデルのような容姿の高校生、ベビーカーを押す年齢不詳の美魔女……。

いずれも、ケンタがいま暮らす町では見かけないような人種ばかりだ。

 ーやっぱり、東京はすごいな。

 ケンタは思った。ケンタが地元を離れて東京にいたのは大学にいた4年間と、卒業して就職してから辞めるまでの3年間、計7年だ。

構内を出てひとたび外へ出ると、いくらかの懐かしさを感じながらも、あらためて地元との違いに驚く。

ケンタは7月の夏の日差しに負け、思わずシャツの袖を捲った。

セミナー会場へ行くまでの道すがらには、飲食店やアパレルショップ、コスメショップなど、見たことのない店ばかりが立ち並んでおり、もはや、前にそこに何があったかも思い出せなかった。

あるコーヒーショップの前では10代とおぼしき女子数名がドリンクを片手に、店をバックに何度も自撮りを繰り返している。

暑さも相まって、オレが大学時代に通っていたのは、本当に同じこの街だったのだろうか? と、ぼんやりした頭でケンタは思った。

わずか数年でこんなに変わってしまうのなら、次に来るときはいったいどうなっているんだろう。

ケンタは、産まれたときからそれほど変わらない地元の風景を思い出しながら、そんなことを考えていた。

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定休日の水曜日と日曜日をのぞく朝8時30分には、ケンタは自分が店主をつとめる洋食屋『イノウエ』に出勤する。

11時にオープンし、15時まではランチ営業で、妻も店に立つ。

その後は店を閉めて休憩し、片付けや準備などをおこない、18時から21時までが夜の営業だ。

閉店後は1時間半ほどかけて、明日の仕込みや準備をする。

2歳の長男と生後8ヶ月の長女は保育園に通い、夜の営業がある時間は、妻や近所に住むケンタの母が、子どもたちの面倒を見てくれている。

 『イノウエ』は20席に満たないこぢんまりとした店で、山形市内の商店街に店を構える。

今は亡きケンタの祖父が脱サラしてはじめた、昔ながらの洋食屋だ。

ボリュームたっぷりのミックスフライ定食や、祖父の代から続くビーフシチューをウリにしている。

店にやってくるお客さんは、常連客や付近の会社で働く人たちがほとんどだ。

中には、祖父の代から通ってくれている人もいる。

時々会社の懇親会があったり、近所の小学校のPTAなどの会合があったりして団体客の予約が入る以外は、夜はそれほど忙しくない。

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話は、今から5日前にさかのぼる。

閉店後、ケンタは明日の仕込みを、妻は店の片づけをしていたときだった。

ケンタは、1ヶ月ほど前から迷っていたことを、思い切って妻に相談してみることにした。

「あのさ、今度東京へ行ってきてもいい? 日帰りで」

「東京?」

 妻は振り返り、目をまるく見開いて言った。

もともと大きな二重の目がさらに強調され、責められているわけでもないのに、それだけでケンタは気圧されそうになる。

夜、ケンタの母が子どもたちの面倒を見てくれるときは、妻は閉店後の手伝いをしに来てくれる。

「やっぱり、ダメかな」

 ケンタは妻から目をそらし、明日のために仕込んでいたビーフシチューの寸胴鍋をかき混ぜながら、言った。

「何か用事? 同窓会とか?」

 テキパキとしたたちの妻は話しながらも手を止めず、洗い終えた調理器具をリズミカルに戻しながら言う。

「違うよ。この前、これが届いたんだ」

 ケンタは、前掛けのポケットから1枚の封筒を取り出し、妻に手渡した。

開封された封筒の中には、『飲食店繁盛セミナー』の案内が二つ折りで入っている。

「この会場、ケンちゃんの大学の近くじゃん」

「偶然ね。でも、やっぱりやめたほうがいいよな、店もあるし」

「行っておいでよ! たまには、東京の空気を吸ってくるのもいいんじゃない」

「え、いいの?」

 妻があっさりとそう言ったので、ケンタは思わず拍子抜けした。

「こんなに大変なときに、東京なんて行っている場合じゃない」と言われる気がしていたのだ。

「1日くらい臨時休業したって、つぶれないでしょう」

 妻は、まっすぐにケンタの目を見据えて言った。

「東京行くのって3年ぶり?」

「うん。そう考えると、早いなぁ」

「仕事中にここに立っているとさ、いないはずのお義父さんに話しかけそうになっちゃうんだよね。

だって、私が店に通っていた子どものときから、いつも厨房を振り返るとお義父さんが忙しそうにしていたから」

 妻は、懐かしそうな表情を浮かべた。

ケンタの妻は地元の中学・高校のふたつ後輩で、小さい頃からイノウエの常連だった。

ケンタが大学2年の頃、帰省したときにたまたま地元で開かれた飲み会で親しくなって付き合うようになり、それからずっと遠距離恋愛を続けていた。

祖父亡きあとに店を継いだ父親が3年前に急死したのをきっかけに、長男であるケンタは急遽『イノウエ』を継ぐことになり、勤めていた食品メーカーを辞めて地元に戻った。

ほどなくして地元の百貨店で働いていた妻と結婚し、今では一男一女の父親だ。

「それに」

妻は、今日の売り上げ票をちらっと見ながら言った。

「この店のこれからに役立つなら……」

 やはり、妻も『イノウエ』の今後を心配していた。

正直なところ、店の売り上げは下降線を辿っている。

客は数十年来の常連が大半だが、ほかの田舎町と同じように高齢者の増加や若者の減少が影響し、経営は苦しい。

若いお客さんを取り込むために新メニューを考案してみたり、スタンプカードをつくってみたりと工夫しているが、いまひとつ効果は見られないのが現状だ。

セミナーに参加すれば、なにかこの現状を打破するヒントが見つかるかもしれない。ケンタは、そう思ったのだ。

 ただ、セミナーへ行くことだけが純粋な目的かと言われると、100%そうとはいえない自分がいた。

そんな自分の本心を妻に見透かされやしないかと、ケンタはびくびくしていた。

「おみやげ、買ってくるから」

 ケンタが言うと、妻は大きな目を細めて大げさに顔をほころばせた。その顔には、疑う様子ひとつなかった。

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執筆・編集:大人のクレジットカード編集部

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